春、一転 真冬

寒さにノックアウトされそうな身体です。

昨日の陽気から一転しました。

暗転と呼ぶことも可能です。

ヴォーカルレッスンで先生から

「大丈夫ですか? 疲れていませんか?」と

ご心配の言葉をかけていただきました。

どこも、全然なんともないです。

ただただ、寒さが骨身にしみるだけでございます。

言葉のアヤではなくて、本当に

深部体温が下がっているからなのか、妙に眠くなります。

活動が鈍くなり、反応も鈍くなり、

昨日から再び38キロ台に体重が下がり、

着々と、あちらの世界へ向かう準備をしているかのよう・・・


いかんいかん!


昨日は、およそ1年半ぶりに、墓参してきました。

三回忌なのです。

夫の子どもたちの誰からも音沙汰がないので、

法要の儀式はカットです。

ひとりきりでお墓の前でしゃがんでいたら

何の感情も感じないのに、涙が止まらなくなりました。

不思議です。お墓の前ではいつもこうなります。

何も感じてないのに、涙が勝手に出てくる。

悲しさも、寂しさも、もちろん、嬉しさも感じてない。

それなのに、どうして涙が出るのでしょうか。

「悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか」

心理学の授業で、そんな話がありました。

私はどちらでもないのです。ただ涙が出るだけです。


誰が置いていったのか、夫の墓の花立には

右側に薄汚れた安っぽい造花(以前より増えている)、

左側にシンビジュームの生花が1本ありました。

墓石の裏側にはシンビジュームが1本落ちてました。

気持ちは、わかります。

しかし、それはないんじゃない?

墓石の上は、2年前から置いてあるガラスの瓶入りの

置物が、やはり薄汚れて、墓石にしみを作ってました。

缶コーヒーも1本ありました。

気持ちは、わかる。ええ。わかります。

でも、不快です。

なぜ不快に感じるのか、なぜ非常識だと思うのか。

墓石の裏に落ちていたシンビジュームも、

持参した花と一緒に生けて、他のものには触らずに

帰ってきました。

行かなければよかったと思いました。


夫の命日を直前に控え、明日から1泊2日でスクーリングです。

いつものように「自宅から通い」にしないのは、

そうです、がっつり雪の予報だからです。

がっつり雪の予報なのに、3連休初日だからなのか

近くの宿が取れずに困りました。

昨夜、短大まで1時間で行かれる範囲の宿を見つけて

滑り込みで予約を入れました。

最寄り駅から近くて、とても助かります。

駅近、神です。

さて、予習がまだ終わってません。

っていうか、終わる気がしません。

ギリギリまで粘ってみます。


その前に、おやつを食べます。

(食ってないで勉強しろ)

ほぼひとりごと

2010年、乳がん発覚(DCIS・0期)、患側全摘手術、2011年再建、2018年サイズダウン。 2015年、夫の肺腺癌発覚(胸水確認・4期)、2016年多発脳転移、2017年髄膜播種、多発骨転移、かえらぬ人に。 2017年X'mas、診断:PTSD・うつ。双極性障害の疑い。2021年、発達障害の疑い。 そんな日々の記録と愚痴。

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