「一部ツーブロック」な髪形になっています。
より正確に言うと6ブロックくらいに区分けされてますが、
自分で手入れができるのは4ブロック。
見える部分は、本当はバリカンで良いらしいけど、
カミソリで剃ってます。楽です。
見えない部分は、時々気が向くとバリカンをかけるわけですが・・・
これが危ないのです。
ふっ・・・!と、全部行っちゃいたくなるのです。
そこでまた、ふと思う。
頭の形が悪いから坊主頭は似合わない、と。
で、一旦気持ちを落ち着かせる。
全部行ったらだめだよ、と言い聞かせる。
何でしょうか、この気持ちは。
夏だから? 暑いから? 何か悟りを開こうとしている?
そういえば、純粋な若かりし頃、悟りを開いたように思えた時期があり、
新興宗教の教祖になれそうな気があふれ出ていたことがありました。
かなり危ない精神状態でした。
今思えば、あれは躁状態だったのではないかと・・・。
今の自分は迷いと煩悩の塊でございます。
人間とはそういう状態でよろしいのではないかと思います。
悟らなくてよろしい。
何かを追求し続け、何も満たされぬまま終わっていっても
誰も文句は言いません。言わせません。
自分の人生を自分で生きているのです。
他人に迷惑をかけぬよう、頑張って一所懸命。
みんな、自分の分しか頑張れないと思うんです。
誰かの命の分も頑張るなんてできないと思うんです。
今朝の東京新聞の記事で、都内の精神科に入院していた人が
身体拘束で死亡したとして、遺族が提訴したというのを読みました。
身体拘束は虐待です。
ベッドに固定された体は退化していきます。
介護の仕事をしている友人に聞いた話です。
彼女は初めは病院で介護の仕事をしていました。
病院では前提として「拘束ありき」だったそうです。
その後介護施設に転職すると、拘束をしないことに戸惑ったと言ってました。
介護職員初任者研修を受けたばかりだった私は彼女に
「拘束は虐待だよ」と言うと、困った顔をしていました。
彼女は「ヘルパー2級」の資格を取ったので、その頃のテキストには
拘束=虐待という記述がなかったのかもしれません。
亡夫の病状が悪化した一因に病院での拘束があったと私は信じています。
一緒になって訴えたい気持ちもあります。
でも、私は今自分のことだけで精一杯です。
自分の分しか頑張れません。
頑張らなくても良い日が来るまで、自分の面倒を自分で見ていくために、
今は自分の分だけ頑張ろうとしています。
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