うまく眠れず22日は5時過ぎに目が覚めた。
ざっと片づけをして、自分の荷物をまとめた。
着替えの服、靴、化粧品をパッキングして宅配便の集荷を頼んだ。
午前中は集荷に来てくれるのを待ちつつTVを見て時間を潰し、
お昼前に病院に向かった。
義母は待ち焦がれていたようで、かつてないほどの満面の笑みで迎えてくれた。
前回も気になったのだが、義母の手の爪がかなり伸びていたので爪切りを持って行った。
自分で切れないというので、切ってあげた。
看護師はこの爪を見て何とも思わないのか疑問に感じるほど長い爪だった。
その後は義母の話し相手をして過ごし、そのまま病院泊。
2時間ごとに看護師の見回りがあるし、病院は熟睡できるところではない。
23日、6時起床。
午前中、夫の父と義母のご先祖がいる納骨堂にお参りに行った。
お寺の犬なのか、真っ白い犬がひとりでお参りしていた。
(誰のお墓でしょうか?昔の有名な人だと思います)
これが義母のご先祖様代々と、義父(入り婿です)が入っている納骨堂。
折り畳みの晴雨兼用の傘の骨が折れてしまった。
日傘無しではとても歩けない日差しなので、この際だから買っちゃおうと思った。
その界隈で唯一(?)のデパートに行き、奮発してブランド物を。
壊れた日傘は持ち帰るわけにもいかないので、そこで処分をお願いしたら
「こちらでお買い求めのものでしたら、お直しできますよ」と言われた。
どこで購入したのだったか覚えていないけど、デパートではない。
ましてや、夫の郷里でもない。
修理には日数がかかるだろうし、明日帰る身なので、処分してくださいと頼んだ。
病院に戻ってからは、相変わらず義母の話し相手をして過ごし、病院泊。
義母は一見しっかりしているように見える。
でも、短時間のうちに何度も同じことを尋ねたり、同じ話を繰り返す。
最初は何度同じことを聞かれても、その都度初めてのように答えていたけど
睡眠不足と疲れが溜まっているのとで、だんだん余裕がなくなってきた。
たまにしか会わないから我慢できるのであって、これが日常だったらキツイ。
同居していたらネグレクトしちゃいそうだ。
そんな私の気持ちはお構いなしに、退院したいと言い出した。
私が同居すれば退院できると確信している様子。
自分が末期がんだと言われたことは記憶から抜けているらしい。
ホスピス病棟に入院していることもわかっていないらしい。
一時帰宅はできても退院はできないことがわかっていない。
こういう時はどうすればいいのか・・・
「末期がんだから退院できないんですよ」って言っていいのか。
私は予定が詰まっているのでしばらく病院に来ることができないから、
退院しても家には誰もいない、トイレも食事の支度も自分でできない、
そう言い含めて退院を思いとどまらせたが、納得していない様子だった。
その夜も熟睡できず、疲れが溜まる一方。
24日、朝10時27分の空港行バスに乗り帰路についた。
今日は疲れを抱えたまま、荷物の整理をして過ごした。
冷蔵庫内には食材がわずか。
買い物に行かなくてはと思いつつ、外に出る元気がなくて引きこもり。
明日こそは買い物に行くぞ。
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