四十九日の法要

実の四十九日は3月31日だが

夫の子供たち(特に次女)の都合により

今日の朝イチで法要と位牌・本尊の開眼供養をしてきた。

霊園への支払い三万一千八百円、お布施六万円。

みぞれ交じりの雨の中。

寒かった。フトコロも。


法要の前にお坊さんと少しお話をする時間があり

「後を追おうなどと考えたりせずに

死ぬまで生きてくださいね」と言われ、涙が止まらなくなった。


後を追うというのとはちょっと違うけど

「もういいや」っていう気持ちは

正直、最近芽生えてきてた。

芽が生えて、双葉から本葉くらいに育ってきてた。

息苦しくなったり不整脈があったりするのが

何だか少しうれしくもあった。

「このままそっちに進めるのかも」って。


よくありがちな「愛が深くて」みたいなことではない。

と思ってる。

そういうロマンティックなことではないんだけど、

もうこの先誰かと一緒になることはないし

ひとりで老後を生きたくないから再婚したのに

結局は一人で老後を生きることになっちゃったし

だから、もういいやって思って。


昨日の夜だったか、

TVを何気なく見ていたら、外国の老夫婦が映っていて、

「私たち、新婚なの」という話が聞こえた。

「彼は奥さんをがんで亡くしたの」


ああ、そうなのか。

日本でなければ、そういうこともあり得るのか。

ごく普通に、素敵に、年をとっても『新婚』があり得るのか。


日本にいる限りは、あり得ない。

あんなふうに素敵な夫婦にはなり得ない。


だから、もういい。

そんなに長いこと生きなくても。


お昼前に帰宅して、片付け物をして、

へんな時間に昼食を食べたのが悪かったのか、

それとももともと法要が重荷だったのか

胃が痛くなった。

夫が処方されたガスターがあれば、

あれは魔法のようによく効いたけど、

もう飲みきってしまって市販の胃腸薬しかなかった。

あまり効かないんだよなと思いながらのんで

お風呂でおなかをよく温めた。


明日の朝には良くなっているはず。

今夜はがまんして、早めに寝てしまおう。


夫の親戚から電話が来て、

「四十九日過ぎたら、お友達と遊びに行ったり

何か気がまぎれるようなことをするといいよ」って言われて

なんとなく少し気持ちが明るくなった。


そうだね。

何か気晴らしになることをしてみよう。


死ぬまで生きよう。

ほぼひとりごと

2010年、乳がん発覚(DCIS・0期)、患側全摘手術、2011年再建、2018年サイズダウン。 2015年、夫の肺腺癌発覚(胸水確認・4期)、2016年多発脳転移、2017年髄膜播種、多発骨転移、かえらぬ人に。 2017年X'mas、診断:PTSD・うつ。双極性障害の疑い。2021年、発達障害の疑い。 そんな日々の記録と愚痴。

0コメント

  • 1000 / 1000